第2集 古代連 ~花托から果托へ、遺伝子伝承の美~

第2集を発刊するにあたって 2003年7月に初の個展をパリにて行い、そのテーマであった‘古代蓮’の反響に自分でも驚きました。自分の写真仲間だけでなく、多くの知らない人達から連絡があり、どんどん蓮の世界にはまっていきました。 私は蓮の写真だけを撮影しているのではありません。しかし、まだまだたくさんの発表したい蓮の作品があり、しかも個展の影響で2003年の夏から私の感性 が変化?(進化?)して新作を大量に生み出しています。ただ残念なことに全部を一度には紹介できないので、今回は私が以前から蓮に非常に興味を持った部分 に焦点を絞りました。共感していただける方が増えれば幸いです。

蓮の花が咲いた時、花弁の中心部にはまるでシャワーヘッドのような部分があります。この部分があるかないかは、蓮か睡蓮かを決める重要な部分です。
蓮の愛好家は、それを花が咲いているときは‘花托’と呼び、花が散って種ができ始める頃より‘果托’と呼び始めます。どちらも日本語では「かたく」と読みます。
その変化の仕方は多様でまるで別の生体であるかのようです。
しかもその各々が様々な格好を見せて群れをなしている姿は何か哀愁を感じます。また、どことなくコケティッシュさと美しさも感じて惹かれてしまいます。
雨が降るとさらに姿を変化させ、小室にたまった雨水がトンボの目のようになってキラキラ光ります。
秋が終わり冬が始まると今度は霜がつくようになり、さらにもう一度姿を変えます。
その頃には果托は完全に忘れ去られた存在になってしまいます。
私はもう1つの名として「枯托」と名づけたいと思っています。

蓮の愛好家によって