「フランダースの犬」というアニメは私の世代の方ならば誰もが知っていると思います。
その最終回に主人公ネロが見たかった絵の前で愛犬パトラッシュと共に昇天して行くシー ンは今思い出しても涙が出ます。 その話が実話だったかもしれず、本当に存在している絵だということを知ったのは大学生 の時でした。昔のフランドル地方、今のベルギーで、絵はピーテル・パウル・ルーベンス の絵であることを知った時からいつか本物を見てみたいと思うようになりました。 その願いは2011年にかないました。
アントワープという都市の聖母大聖堂にある「聖母マリア被昇天」、「キリスト昇架」、「キ リスト降架」という絵がそれに当たります。その実物を見た時に奇跡が・・。 ちょうど絵画の前に行った際にステンドガラス越しに絵画に光が射しこんだのです。 しかも下の部分に最初光が差し込み少しずつ上がって行きあたかも昇天していってい るかのように見えるアングルワークで光が動いて行ったのです。
個人的に大事な絵に直接光が当たったら変色するので通常は光が当たらないようにしてい るのではないかと思っている人間なのでその状況に驚きすぐにカメラを構えました。
カメラでその状況を捉えると明暗が強すぎて白飛び、黒つぶれすることがわかり、コント ラストを下げて何とか白飛び、黒つぶれをしないように調節したころには光がちょうど顔 の部分にあり体部分が黒く沈む状況にありました。 その時の1枚がこの作品です。 動画の方が動きがあっていいのかもしれませんが、コントラスト調整はとても難しかった と想像します。
幼き頃に見たアニメの号泣シーンの現場に立ち会い、ありえない状況を見て撮影したこと でしばし放心状態になったことを覚えています。 あの時、あの瞬間に立ち会ってその状況を偶然見ることができたこと、本当に心から写真 の神様に感謝しています。 その後、生きている私が見ている瞬間、瞬間はすべて二度と戻らない瞬間であり、撮る という行為はその人生で見た一瞬を残すという人生で私が見た一部が写真であるというこ とを理解しました。写真は自分の思考で見た人生の履歴の欠片だったのです。
この時のできごとを奇跡と思っていますが、日常のすべての瞬間は観点を変えると奇跡の 連続の積み重ねと捉えて感じることができるかどうかで“心の絶景”に出会えるかどうか が決まるのだと悟りました。カメラという媒体の素晴らしさを再認識でき、1枚1枚を大切に撮ることが学べた旅にな りました。
★道中与太話
アントワープにはルーベンスの住居兼アトリエ跡の「ルーベンスの家」と いうものがあり、肖像画から宗教画、歴史絵画の連作、家族の絵など幅広 いジャンルの作品を見ることができる場所がありました。 そこで写真家の私の原点とでもいうべき事柄をルーベンスが完成させたこ とを知りました。つまり現代にも通じる構図の概念を完成させた人がルー ベンスだったのです。
例えば、対角線と螺旋の構成を多用することで視線を誘導させたり、強い 遠近感と迫力を生み出したり、色彩と明暗の強い対比(キアロスクーロ) を用いて作品にドラマ性やダイナミズム(躍動感)を演出させることを考 え出した人だったのです。 また大画面の中に人物などの要素をバランスよくかつ緊密に存在させる 卓越した思考の持ち主だったのです。 現地を訪れてルーベンスの時代の絵画が今の写真界にとてつもなく影響を 及ぼしていることを知りました。
もう一つアントワープを歩いていて感じたのは、世界の富に深くかかわる と言われるダイヤモンドの研磨作業で有名な場所のためユダヤ人コミュニ ティーが有り、黒づくめの姿をした人をよく見かけたことです。 まさに自分がイメージしていた中世ヨーロッパの歴史を感じる町でした。 もちろんダイヤモンドの研磨も見学に行きました。 買えませんでしたが・・・。
