漫画、テレビで見た世界が目の前に

 

幼き頃より何度も漫画やテレビで見ていたイタリアのベネチアのゴンドラや、ローマのテルミニ駅前の共和国広場にあるナイアディの噴水を目の前で見た時の感動は今も忘れられません。まだカメラもフィルム時代だったので三脚を持ち歩き回ったのを鮮明に覚えています。
私がイタリアに行くきっかけになったのは、訪れる前年にフランスでサッカーのワールドカップがあり、観戦時に撮影した自分の作品の出来栄えに感動し、もっと撮影したいと考えていた矢先、好きな選手がイタリアに移籍し、追いかけて撮影しようと思ったためでした。
またちょうど都内で「イタ飯」と呼ばれてイタリア料理が流行っていた際に訪れたお店の本店がベネチアの近くにあり紹介してくださったからです。
私は現地の方と直接イタリア語で話がしたいと思い半年間必死に勉強し、車も現地で運転して北半分のイタリア中を巡りました。

まず初めに訪れたのは、ベネチアです。
有名なサンマルコ広場に行きサンマルコ寺院を見学した後、ブラーノ島やムラーノ島まで足を延ばしカラフルな家々を撮影して回りました。
そこではたくさんのベネチアングラスを堪能して楽しみました。
もちろんベネチアに戻ったらゴンドラに乗り、ゴンドラが集合する場所を見つけ撮影をしました。
ベネチアの文化や習慣なども学んだのを覚えています。
魚介系が美味しいと言われていたリストランテにも行きました。
ローマに行った時にはイタリアは中華がとても美味しくて安いことに気づきましたが、ベネチアではイタリアらしい食べ物やデザートを食べ歩きました。

次にはサッカーを撮影するためにボローニャに行きました。間違って敵対するサポータが多く乗るバスに乗ってしまいすぐに降りた記憶があります。若者のサポータは血気盛んな人だらけでした。サッカーのチームを追いかけてボローニャの次にはフィレンツェに行こうと思いましたが、道中に小学生の時に読んで怯えた「新曲」の地獄編を書いた作家、ダンテの墓と生涯を知りたくて近くにあるラベンナという町に寄りました。
その後フィレンツェではボッティチェリの「ビーナスの誕生」を見るために美術館に行き、フィレンツェの歴史的な建造物ドゥオモに登り、イタリア最古の橋ポンテヴェキオ橋を撮影することにハマりました。市場も楽しかったです。
この頃にはすっかりイタリアにも慣れてきていましたが、最初イタリアリラのお金の額の大きさに頭が混乱していました。
というのも、100円が1,200リラぐらいあり、1万円だと12万リラくらいになったからです。
今はユーロになったので問題はないですが、支払う時の額が驚くような額のイメージになり慣れないと大変だったのです。

イタリアの建物で有名なところといえばピサの斜塔です。
フィレンツェまで行ったので半島の反対側ですが、がんばって行って体を同じように斜めにして記念撮影してきました。その後ワインで有名なトスカーナ地方の高速道路を爆走し、古城があるシエナに行き、またサッカー観戦と撮影のためペルージャに行きました。
ペルージャでは初めて生パスタを食べて感激した衝撃を今でも忘れられません。
乾麺しか知らなかったパスタの違う一面を学びました。

最後にローマに行き、ローマ中の有名どころを巡ったのですが、街中のレースで有名なサンマリノグランプリの開催地サンマリノまで日帰りでローマから行けることを知り、早朝から一人車を飛ばして世界遺産の標高約750mの断崖絶壁に立つ城塞を目指してまた爆走しました。 天空の絶景というものをこの時初めて見ました。
アニメのルパン三世のカリオストロの城のような城の小窓から外を眺めて撮影し、記念に切手を購入して深夜にはローマまで無事帰宅しました。若かったからできたことです。

でももし今のレベルのデジタルカメラがあり、自分にもっと撮影技術があれば・・・と今となっては考えてしまいます。私にとっては今もイタリアは憧れの絶景の地です。
南半分は危険だったので当時は行けていません。可能ならばいつか行きたいです!

★道中与太話
レンタカーを借りて高速道路を時速130キロで走っていたら若い女性に軽く追い越されたことがありました。
その時はイタリアではありましたが、ドイツ車のオペルという車を借りて走っていたのですが、130キロ以上は車がブレて怖くてスピードを出せなかったのです。
そこで奮発してイタリアのスポーツカー、アルファロメオを借りました。
ローマからサンマリノまではアルファロメオで爆走しました。ここだけの話として、200キロ以上で高速道路を走ったのは後にも先にもこの時だけです。高性能の車だとこんなにスピードを出しても怖くないのだとこの時に知りました。